shonannokaze2023.hatenablog.com
↑前回の続きです。
人間が生活をし、時に余暇を楽しむためには(=人間が持つ眼、耳、鼻、舌、身という感覚器官から喜びを得るためには)、煩わしいリスクを同時に受けなければならない、また来世へのリスクも同時に受けなければならないという事の考察が続きます。
パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta)片山一良訳 大蔵出版 P241から引用
さらにまた、比丘たちよ、欲を因とし、欲を基とし、 欲を根拠として、すなわち、もろもろの欲を因として、
身による悪行を行なったり、 語による悪行を行なったり、意による悪行を行なったりします。かれらは、 身による悪行を行ない、語による悪行を行ない、意による悪行を行ない、
身体が滅ぶと、 死後、苦処・悪道・破滅の地獄に生まれかわります。
比丘たちよ、これもまた、 もろもろの欲の危難です。
来世の苦(dukkhaドゥッカ)の集まりであり、欲を因とし、欲を縁とし、 欲を根拠とするもの、すなわち、もろもろの欲(kaama)を因(原因)とするものです」
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ここで説かれているものは、来世があるという事のようです。
なので「欲を避けよ」というのがゴータマ・ブッダの一貫した主張のようです。