インド最初期仏教 覚え書き 備忘録

現上座仏教教団(スリランカ タイ ミャンマー等)が保持するパーリ語経典からの引用を中心にした仏教紹介。

国家権力を持たない庶民、盗賊が欲のために犯罪を犯すと、時の国王に処刑される。四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART6[次第説法39 欲の欠点、危難]

 

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前回の続きです。
人間が生活をし、時に余暇を楽しむためには(=人間が持つ眼、耳、鼻、舌、身という感覚器官から喜びを得るためには)煩わしいリスクを同時に受けなければならないという事の考察が続きます。

 

パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta)片山一良訳 大蔵出版 P240から引用

 

「さらにまた、比丘たちよ、欲を因とし、欲を基とし、欲を根拠として、すなわち、もろもろの欲を因として、

 

つぎ目(家のつなぎ目、壁)を破ったり、掠奪したり、一軒のみ〈五十人でも六十人で
も取り囲み、生け捕りにし、財宝を運び出させということ。〉を狙ったり、大道に立ったり〈道で追剥ぎをしたりの意。〉他人の妻と通じたりします。

 

そのような者を、諸王が捕え、種々の刑罰を科します。

 

すなわち、鞭をもって打ち、籐をもって打ち、棍棒をもって打ちます。また、手を切断したり、足を切断したり、手足を切断したり、耳を削いだり、鼻を削いだり、耳・鼻を削いだりします。

 

また、酸粥鍋の刑(〈頭蓋骨を割り、熱した鉄丸をピンセットでつかみ、そこへ入れる。それによって脳髄が煮え、上に出てくる)という刑を科したり、貝磨きの刑を科したり、ラーフロの刑を科したり、火鬘の刑(〈全身を油布で巻き付け、火を点ける〉という刑。)を科したり、

 

手燈の刑(〈手で油布を巻き付け、燈明のように火を点す〉という刑)を科したり、
駆動の刑(〈首から下の皮を剥ぎ、踝のところに落とす。そこでかれを紐で縛り、引っ張る。かれは自分の皮を踏んで倒れる〉という刑。)を科したり、

 

皮衣の刑を科したり、羚羊(れいよう)の刑を科したり、鉤肉の刑(〈両面のある鉤で打ち付け、皮肉・筋を引き抜く〉という刑を科したり、カハーパナ銭(鋭い刃物で端から、カハーバナ銭ほどにして切って行く)という刑を科したり、

 

灰汁の刑(身体の各部分を武器で打ち、櫛でアルカリを擦りつける。皮肉・筋が流れ出し、 骨の連鎖だけが残る)という刑を科したり、閂(かんぬき)回しの刑(一方に横向きに寝かせ、耳の孔に鉄串を打ち込み、地面に固定する。そして、両足をつかんで回すという刑)を科したり、

 

藁台の刑を科したりします。また煮えたぎる油を注いだり、犬に食べさせたり(〈数日間、食べ物を与えず、飢えた犬に食べさせる。かれらはたちまち骨の連鎖にしてしまう〉と言われる。)

 

生きているまま串刺しにしたり、刀で首を切ったりします。
かれらはそこで、死に至り、死ぬほどの苦しみにも至ります。

 

比丘たちよ、これもまた、もろもろの欲の危難です。現に見られる、苦(dukkhaドゥッカ)の集まりであり、欲を因とし、欲を基とし、欲を根拠とするもの、すなわち、もろもろの欲(kaama)を因(原因)とするものです。
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時に、人はの実現のために(=人間が持つ眼、耳、鼻、舌、身という感覚器官から喜びを得るために)
国家権力を持たない庶民、盗賊が欲のために犯罪を犯すと、捕まった場合、当時の国王、権力者に処刑されるというような、

 

死に至り、死ぬほどの苦しみにも至るというリスクもまた基本的に避けられないという事のようです。
現代でも、自分の欲求に耐えられず、犯罪を犯し見つかってしまうと、時の権力者でない者は捕まり、刑務所に入れられたり、電気椅子に座らさせられたり、出所できても、なかなかその後世間で生きづらくなるというリスクを背負わさせられるようです。

 

次回も欲の危難(障害、煩わしさ)の話が続きます。