shonannokaze2023.hatenablog.com⇑前回の続きです。感受(感覚)の出離nissaran.aについて。
パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P248~から引用
感受の出離
つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の出離とは何か。
比丘たちよ、
①もろもろの感受に対する欲貪の調伏、
⓶ 欲貪の捨断、
これがもろもろの感受の出離です。
かれらは自らもろもろの感受を知悉(ちしつ)するであろう〉とか、〈 他をそのとおりに教誡するであろう〉とか、〈 実践のとおりにもろもろの感受を知悉するであろうという〉、この道理は知られません。
このように世尊は言われた。
かれら比丘は喜び、世尊が説かれたことに歓喜した、と。
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⇑この今まで述べてきました結論と同様になるようです。
感受、感覚も変化するもの、無常であるもの、最終的に壊れるものである事が分かりましたら、結論として
精神的に気持ちとして「捨てるしかない」という事のようです。
結局このことが理解できましたら、四聖諦の理解につながると思われます。
いわゆるその人にとりまして「良いもの」は必ず例外なく「変化」してしまうわけです。=無常
良いものが変化してしまうのだから、嫌な気持ちになるわけですね。=苦
当然それは実体がない、固定したものがない事になると思われます。=無我
以上で
パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版からの引用は終わります。
仏教で言うところの、 欲、色、感受、それぞれのdukkhaドゥッカの定義、長所、欠点、その精神的克服法が述べられていると思います。
次回は、ここで述べられています感受の楽味の、心の集中力を修めた先にある禅定についてのゴータマ・ブッダご自身の体験談をご紹介してみたいと思います。