インド最初期仏教 覚え書き 備忘録

現上座仏教教団(スリランカ タイ ミャンマー等)が保持するパーリ語経典からの引用を中心にした仏教紹介。

番外編 人間の福耳について[布施⑫]

shonannokaze2023.hatenablog.com

この続きです。 番外編です。
パーリ語仏教経典の語るように、かなりな善行為を行うとその功徳の力で今生に生まれ変わるときに吉祥相を持って生まれてくるという話ですが、
前世がある、生まれ変わりがあるという前提での話でこんな動画を見つけました。

 

いわゆる現代で言う、「福耳」ふく‐みみ【福耳】 の解説 出典:デジタル大辞泉小学館
耳たぶが大きく肉の厚い耳。福相とされる。

について一例をあげてみたいと思います。

www.youtube.com

2003阪神タイガース優勝前 スーパーテレビ2/2 星野仙一完全密着

9分15秒過ぎ 星野仙一氏の少年時代の話。
10分過ぎ 星野仙一氏の少年時代を知っていた女性の話

 

「仙坊と呼ばれていた。子供時分から、人一倍耳が大きかったから、出世するという事はみな言うとったよ。大物になるっていう事は子供の時から言うとった。そしたら大物になった。やっぱり。」

 

13分過ぎ 当時小学生、5、6年生時の担任先生の話。

 

「彼が優しい言いますかね。定金君という筋萎縮症の子がおったんですが。そのことを言ってもいいんかな。彼が(定金君)をおぶって来てるんですよ。(定金君)は足が細くて立てれないんですよ。」

 

(ナレーション) 学校に行きたくても行けない。定金君からそう聞いた仙一少年は言った。
「よし。わしが連れてってやる。」5年生の時、仙一少年はいつもより早く家を出るようになった。それは定金君を迎えに行く為だった。

 

13分50秒過ぎ
定金君のお母さんの話。
「星野君がいつもね、(息子を)おぶって教室を移動してくれるもんでね、もう頼りになる友達です。」

 

(ナレーション) 雨の日も風の日も二人の当校は続いた。教室の移動や階段の上り下り、仙一少年は常に定金君に付き添っていた。

 

定金君のお母さんの話
「小学校の5年6年の方がね、おんぶして行くいうて大変じゃと思うんですけどね。ほんとにもう全然私も学校に行っとる間気を使うことなくね、もうお任せ切りいうんかね。」

 

(ナレーション)
牛乳のフタのメンコでよく遊んだ二人。しかしその後定金君は15年前に帰らぬ人となっていた。

 

15分40秒過ぎ 定金君の話。
「(星野君のことを)頑張ってなと言う感じやな。まあ、僕が出来ないことを星野君がやってくれおる、っていう感じやな。」

 

(ナレーション) 放課後、仲間たちをグラウンドに集めて夢中になって野球をする星野の姿を見るのが定金君は大好きだった。

 

そして二人は日暮れる頃、いつも一緒に家へ帰った。

定金君のお母さんの話。
「今日、テレビの放送があるっていうたら、絶対にね、テレビの前で見ておりました。
正憲が42歳まで生きられたのは、星野君の支えがあったんか、そのためにね、生きさせてもらったんかなと思っとります。はい。」

 

仏教では「その人の行い(業)がその後の人生、生を決める」
という教えになっているようです。

 

それにしましても、小学校五、六年生が筋萎縮性の同級生をおぶって、毎日、雨の日も風の日も登校し、学校内でも常に面倒をみていたという話はかなり人類史上稀有なことではなかったかと思われます。

驚嘆すべきことのように感じました。

 

輪廻、生まれ変わりがあるという前提での話ですが、今生での性格、人相を拝見しますと、過去生でも同様な生き方をされて来たということは十分に考えられることだと思われます。